record decode

体内に取り込んだ消化不良の情報を吐き出す退避領域

「リツイート」に自分への「いいね」はつかない

手が震えていた。
 
ページをめくればめくるほど、心臓の鼓動が聞こえてくるほど感覚が研ぎ澄まされていった。
 
ぼんやりと宙を見つめる。動悸がまだ激しい。深夜4時。『何者』(朝井リョウ著)を読み終えた。
自分の心に直に触れ、ぐちゃぐちゃにかき乱していき
「ホラ、これだよ。わかるだろ?」と目の前に突き付けられた。
これはなんだ?
 
 
それは自分自身だった。
 
 
僕は本を読みながら、物語に没入しながら自分を見ていました。
『何者』は就活を舞台に登場人物たちの想いや葛藤をリアルに描いた作品です。就活において自己分析、つまり自分自身を見つめ直すことは至極当然のことであり、「自分は何者であるのか」というお題は就活生に限らず、すべての人に突き付けられているものだと思います。
そして今日もどこかでこのお題に苦悩している人がいて、僕もその内のひとりだったりします。
就活のときにその答えを(一応は)出したはずなのに、何故このお題が未だに眼前をちらつくのか。当時の自分の記憶を掘り起こすと、答えはシンプルだと気づきました。
 
当時の僕が行っていた自己分析は、「自分のアピールポイント」の発見と装飾でした。
長所はもちろん、短所ですら「それをこういう風に乗り越えうんたらかんたら」とポジティブの方向へ持っていき武装化する。
そして本質的な自分の「弱さ」は見て見ぬふり。また、自己分析をやって悩んでいる(ふりをしている)自分に「ちゃんと就活してるな」と納得し満足感を得ていたり。
当時の自分は、自身を見つめてやりたいこととできることの線引きをするのが、その事実を認めるのが怖かったのだと思います。
 
そんな甘い自己分析でもなんとか就活を終え、今社会人として仕事をしてて思うのが「これ、本当に自分のしたいことだっけ?」なのです。
…誤解を招きそうなので補足しますと、今の仕事に不満があるわけではなく、むしろ日々さまざまな学びや発見があるので恵まれた環境だと思っております。ただ、本当にやりたかったことかと問われると首を縦に振ることはできない自分がいる一方で、自分のやりたいことをやっている人が周りにいることに、社会に出てから気づきました。いや今まで見て見ぬふりをしていたのかも。それをできない自分が浮き彫りになっていくのが怖くて。

 

これは就活時のツケがまわってきたのだな、と。あの頃の無駄なプライドを持っていた自分を殴って言い聞かせたい。でもあの頃の自分は「これが正しいんじゃー!!」って自分の考えを盲信してやまなかったので、殴ったとしても気づくのは今、社会の中で働く僕とやりたいことに邁進している人の対比を直視できるようになった今なんだろうなあと思います。
 
『何者』 は自分自身を深く考えるエッセンスが詰まっている一冊だと感じました。
稚拙な文章ですが、このように自分の意見をリツイートやシェアじゃなく自分の言葉や形でアウトプットし続けられたらな、と思います。